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アロング家庭教師センター
主宰者 松尾宗弘
連絡先・所在地

通塾も出来ます(P 有)。
また、通常の対面指導は勿論のこと、
全国の方を対象に通信指導も行っています。

指導方針・理念

 このサイトをご覧になっている方は、学業成績を、試験の得点を、なんとか上げ(させ)たい、早く上げ(させ)たい、と切望している事と思います。そして私は、まさにそのために仕事をしております。

 そこで、
「このテストには、よくこういう問題が出るよ。だから、こういう問題の解き方を覚えなさい」
とか、
「そういう問題は、あまり出ないから、後回しにしなさい」
などといった指導を、私は、仕事の中核としておりません。
 意外でしょうか。しかし、これの効果が低い事は、経験ずみなのです。

 こういう指導は、よくされています。試験のために注力し、無駄な事はせず、いかにも効率の良さそうな指導です。だから、大衆受けを狙うなら、こういう指導を、私も積極的にします……言い方が悪いかも知れませんが……。

 こういう指導は、しかし、子供のサッカーなのです。皆が短絡的にボールに注目し、群がる。点を入れようとは思うものの、全体の状況や、攻め守りの組み立てを、誰も考えない――。
 同様に、試験に出る問題や、その解き方にばかり、短絡的に意識が向き、教え込もうとするだけなのです。その子の全体を、現在もっている知識・学力を、考えていないのです。
 必然的に、どこから教えるべきなのかの判断を、放棄してしまっています。試験で得点させる事は考えるものの、そのための力を如何に構築して行くかについては、無策な指導なのです。

 これではせいぜい、その場しのぎが出来るだけです。学力の裏付けが無い得点力。付け焼き刃。これは、中間・期末試験のような、範囲の狭い試験では通用しても、しょせん誤魔化しです。三日で崩壊します。
 こんな事を繰り返していたら、やがて成績は、試験の得点は、下がって行きます。そして、実力が如実に表れる範囲の広い試験で、つまり入試などの重大な試験で、失敗する事になるのです。
 
 これは、絶対に避け(させ)たい事態です。だから私は、安易にボールを蹴ろうとはしません。

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 いきなり批判がましい話で申し訳ないです。しかし、何故このような指導(者)が多いのでしょう。

 一つには、やはり、近道に見えてしまう事です。無駄がないように見えてしまう事です。試験に出そうな事ばかり教え、出そうにない事には触れない事で。
 もう一つには、これで実際に上がる子が居るからです。一部ですが。
 それは、黙っていても常に八十点が取れる子です。そういう、すでに相当の学力を有している、恵まれた子だけが、急速に得点を上げ、百点近い点を取ったりします。
 これは目立つ結果です。しかし、良い指導を受けた為であると言えるかどうかは、疑問です。
 さらに、高得点が出たのが中間・期末試験であれば、それは、実力的には“追風参考記録”でしかありません。範囲が狭いので、準備が楽で、その場しのぎで誤魔化しやすいという追風を受けて臨める試験なのです。

 私は、広範囲から出題される試験で伸びてこそ、良い学習が出来た、良い指導が出来た、と言うべきだと思っています。簡単には準備が出来ず、実力が反映される試験だからです。
 もちろん私は、それで実績を上げて来ています。たとえば基礎学力テスト(徳島県の)で。あるいはセンター試験で。
 だから決して、生徒に遠回りをさせたり、要らぬ事を教えたり、そのような指導はしていません。ただし、テストに出ない事でも、しっかり教えます。それが為に、誤解を受ける事があっても。
 
 テストには出なくても、知っておくべき事は沢山あるからです。この事については、本頁を読み進めてください。また、こちらでも述べております。

 本節では最後に、関連して「優等生の真似はするな」と申し上げておきます。
 たとえば、球技の苦手な私が、いきなりプロ野球選手と同じ練習をしても全然上達しないでしょう。上達したければ、然るべき段階を踏まねばなりません。
 同様に、優等生に向けた話を皆で聴いていても、成績が上がるのは優等生だけです。勉強方法でも、いきなり優等生の真似をしても、無駄が多いというものです。
 段階を踏んで行く事こそ、早道なのです。

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 基本というものについて、こちらで詳しく述べていますが、ここでは簡単に、次のように言っておきましょう。
 基本とは、拠り所です。試験においては、問題を解く際の判断材料、あるいは解法を組み立てて行く際の素材です。したがって基本とは、それが直接に試験で問われる事は少ないけれど、知らなくては始まらないものです。

 そんな基本は、軽視されがちです。直接に試験で問われる事が少ないからです。また、試験の「華」ではないからです。
 試験に出ないのなら、それに時間を割きたくない。効率よく勉強して行こう。こうして、試験の「華」、いわゆる難問に目が行きます。「どうすれば、解けるのだろう」。
 その拠り所が基本なのに、それは軽んじたまま、問題の解き方を、手順を、ただそれだけを、「教えてください」。また、「教えましょう」。
 
 これでは、何の理解も出来ない(させない)まま、ただ手順を後追いする(させる)だけです。自分が何をやっているのか、その意味も分から(せ) ないまま…。
 こんなものが、頭に入るものではありません。入ったとしても、永く留まる訳がありません。悪くすれば、誤解と混乱だけが頭に残ります。だから上に書いた通り、三日で崩壊する脆弱な得点力が得られるのが、せいぜいなのです。
 三日で崩壊するものだから、後、全てを覚えなおす事になります。それがまた能率が上がらず、これでは範囲の広い試験では、お手上げです。
 
 さて、試験のための勉強。いえ、勉強は試験のためにするものだ、という考え。もう少し正確には、試験に出ない事は度外視する、という姿勢。これで、試験に向けて効率よく勉強を進めているつもりが、実は全く逆なのです。
 試験のための勉強は、試験に弱い頭脳を作ってしまうのです。

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 基本を軽んじたままの勉強は、勉強と呼ぶのも憚られる、その場しのぎです。試験の度に、その場しのぎ。そんな子が、また指導者が、多く居ます。
 ところで、文明社会においては、試験は避けられませんから、その場しのぎを繰り返すために、いつまでも誰かに頼る子が珍しくもないのですが、いったいこれは、教育と言えるのでしょうか?

 教育とは、未熟な存在を手引きする事には違いありません。ただし、永らく依存させるのではなく、自立を促さなければなりません。そしてそのためには、様々な能力を向上させなければなりません。
 では学習指導においては、どのような能力を?
 それは、自己習能でなければならず、これこそを真の学力と考え、これを獲得させ、また高めさせるような指導を追して行くべきである――この理念を以って、私は教室に“学力研究所”と名を付けました(2002年)。

 しかし、どこか大上段に構えたような名です。もっと、子供たちに寄り添って歩いて行く雰囲気の名が良い。個別対応指導なのだから――そう思い、英単語の along に由来する現在の名に変えました(2013年)。
 along そのものが「寄り添う」と訳されるのではありませんが、この語を他の語と併せて用いると、そのような意味になる場合があります。ほかに、「上達する」「はかどる」「うまく行く」といった意味を出す事も出来て、なかなか良い語だと思った次第です。

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 名称は変わっても、指導方法の追究は続いております。ゆえに、英語担当講師も数学担当講師も、雇っていません。子供は、ベルトコンベアーに乗った工業製品(規格品)ではないのです。
 あの部分はあの人が組み立て、その部分はその人が――これでは、うまく行きません。学力を底上げするには、その子の全体(現状)を見て、何を、どこから、どう教えて行くべきか、と考える事が必要なのです。
 やがて、その子も変化するでしょう。その変化にも、機敏に対応する必要があります。

 分担して教えてしまうと、自分の担当教科を如何に教えるかは考えても、生徒一人々々の事は、おろそかになりがちなのです。
 自分が担当する科目の成績だけが上がらなかったら、講師間で立場がない、という心理からです。また、他の講師が担当の教科については、口を出すと失礼だ、という事情もあります。
 この故、学力の裏付けの無い得点力を、植え付けては枯らす、という事の繰り返しに陥りやすいのです。たとえ個別指導塾であっても。

 こういう事も、私は経験ずみです。だから、一人の講師(つまり私)が、全責任をもって指導しているのです。

 その指導は、徹底した個別対応です。上にも書いた通り、その子の全体(現状)を見て、何を、どこから、どう教えて行くべきか、それを先ず考えます。それによって、使う教材を決めます。
 つまり、教材の選定も個別対応なのです。「中学一年生だから、この教材」ではなく、一人々々の現状に合わせて、適切な教材を、一人々々のために選びます。
 個別に教わってはいるものの、使っている教材や聞いた話は、隣の子と同じ――などという事はない、徹底した個別“対応”学習指導です。

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 基本の徹底。これも、追究して来て得た答えの一つです。きちんと基本を学ぶ事と、学力向上は、同義です。
 また、きちんと基本を学ぶ事こそ、いちばん楽な学習方法なのです。さらに、いちばん速やかに成績を上げる方法なのです。
 
 指導者も、適切に基本を教えられてこそ、技量が高いと言われるべきです。これによる裏づけがあってこそ、試験の「華」を、その「やり方」「解き方」を、生徒たちに無理なく覚えてもらえるのです。
 だいたい、基本を抜きに、安直に試験のために「やり方」「解き方」だけ教えるのであれば、子供どうしで教え合うのと変わりません。

 生徒たちには、良い学習習慣を持って欲しい、とも思っています。将来、資格試験を受ける事もあるでしょうから。
 そんな場面でも、きちんと基本を学んだ上で試験対策、と考えて欲しいものです。そうでなければ、何度も落ちてしまい、ついには諦めてしまうかも知れません。
 こういった意味でも、学力(自己学習能力)は大切ではないでしょうか。

 ただ、基本を徹底するという事は、段階的に学んで(教えて)行く、という事です。いきおい、それだけ時間を掛けて学ぶ(教える)事になります。この事で、悠長な方針だと思われてしまう事が多く、歯噛みする思いでいるのです。
 しかし、時間を掛けたくないからといって、段階を踏まずに、つまり基本を無視して、いきなり「やり方」「解き方」を覚え(教え)ようとすれば、その途端に空回りが始まります。断言できます。
 これでは、それこそ無駄です。時間も労力も、お金も無駄になります。実際そういう子を、今まで多く見て来ました。そして、軌道修正させて来ました。

主宰者 松尾宗弘

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